雲祥院について
瑞龍山雲祥院は臨済宗妙心寺派でむかし、天正年中、羽州秋田郡岩城の城主 新城三郎安信の後室、雲祥尼公が開創した。堂宇は、如意輪菩薩埵の古道場として新城沢岩城郷、現秋田市下新城岩城字下向にあったが、明治五年夏、南秋田郡穀丁村の富豪、船木久右エ衛門ほか多数の檀信徒によって現在地秋田市飯島穀丁二九に移転された。
昭和七年の火災でご本尊である如意輪観世音菩薩は焼失し、現在のご本尊である釈迦牟尼仏が、檀家総代の保坂秀雄氏から寄贈された。
開山は月嶺宗円西堂禅師となっているが年代は不明。
開基は、雲祥院殿節巌祐貞尼大姉。
第十七世 関口 覚宗
船木 久悦、保坂 孝、土田 由仁、船木 久一郎、船木 功
開基について明治七年秋田市寺町大悲寺住職修山老師の書かれた当院の記録によれば「天正年中、新城三郎の後室雲祥尼公之禅誦安居地也」とあり、このあと月嶺宗円西堂を請じて開基と為す、と記されている。
しかし、五十二年発行の「郷土誌研究考」(編著者下新城青崎の故加成惣一郎氏)によれば、雲祥院の開基は岩城の城主初代安信公の後室ではないらしいとされ、福城寺過去帳の写も記されていることから、天正年中より早い永禄ではなければならないと記されている。これについては昭和七年、当院の火災のためいっさいの史料を焼失したため、はっきりしない。
また、当院は昭和二十年八月に爆撃にあい、秋田市でただ一ヶ寺の戦火寺院となった。
雲祥院境内の一隅に宝篋印塔がある。
県立博物館の磯村朝次郎氏によればこの塔は南北朝時代の作品であり県内最古の塔とされている。
また、奈良の法隆寺住僧経暹が天仁二年、今から八百七十年ほど前に父の供養の為に書いた蘇磨 呼童子請門経がある。